呑んだくれ改めレッツゴー痛風日記
2017-03-17
_ 苫小牧→仙台の太平洋フェリーに乗って内地に上陸した!
今回、とある目的のために家族全員(私、妻、犬)で内地を旅することになり、愛車のノア子に乗って本州上陸したのであります。
内地までのフェリー航路はいろいろ考えたのだけれど、梅吉がいることを考えると、あまり長時間の船旅になることは避けたいな、と。
太平洋フェリーの苫小牧→仙台便は19時に出港して翌日10時に到着するという、船に乗って風呂入って酒のんで寝てる間に到着しているというちょうどいい時間なので、僕たちも楽だし梅吉もこれくらいの時間なら大丈夫かな?とということで、太平洋フェリーにて苫小牧から仙台に渡ったのであります。
出港前の梅吉選手、何かを悟ったような顔つきです。
しかし、19時出港なのだけれど、車を運ぶ乗客は2時間前までに乗船手続きしなさいということには閉口した。飛行機でさえ30分前までにチェックインすればいいのに、どうしてそんなに早く手続きしなければならないのでしょうか・・・?まぁ車を運ぶとなるといろいろと準備ごとがあるのだとは思うけれども、、、
仕方ないのでこの日は仕事を15時30分に切り上げて高速とばして苫小牧西港に17時ギリギリに到着したのでありんす。しかし、僕が到着してからぞくぞくと車が来ていたので、ひょっとして2時間前という縛りはそれほど厳格じゃなくて少し緩めなのかしら?
太平洋フェリーで犬を運ぶにはドッグハウスに預けるか車両内保管。(この保管という文言も気に入らないが、、)
ペットと一緒にご乗船される場合は必ず港の乗船手続きの際にご申告いただき、念書にご署名をお願いいたします。犬に関しては、当社船内には、ドッグハウス(中・小型犬専用の簡易保管施設 冷暖房、照明付き)があります。ドッグハウスに入らない大型犬や、犬以外のペットに関してはお客さまの車両内保管をお願いいたします。
[ペットについて|よくあるご質問|太平洋フェリーより引用]
給餌・給水ができることと、狭い場所とはいえ一応は散歩できるスペースもあるドッグハウスもいいなと思いつつ、ドッグハウスの狭さ(幅500mm×奥行740mm×高さ550mm)がなんとも微妙だなぁと思って、梅吉は車の中でお留守番することに。
ノア子の車中泊スペースを梅吉に贅沢に使ってもらって寝てもらうのだ。
さて、出港。
久しぶりのフェリー旅で夫婦ともどもうかれております。
船内をいろいろ探検して見て回るだけでもなんかウキウキしちゃうね。
風呂上がりのビールが美味い!
船内にしっかり記念撮影スポットもあるのでござる。
仙台城址を少し散策すると片倉小十郎のコスプレした方がいらっしゃいましたので、記念写真。
片倉小十郎、イケメンだねぇ。ちなみに我らが札幌かたきたことを伝えると、片倉小十郎の領地であった白石の人たちが戊辰戦争後の移り住んだのが札幌の白石区なのだよ、と丁寧に解説してくださいました。
しかし、平日だというのに片倉小十郎さんがいたりとか、他にも松尾芭蕉さんがいたりだとか、観光客相手のサービスが充実してますなぁ。
そしてそのまま駐車場で妻が朝ごはんを作ってくれまして、
ノア子のなかで食べるのであります!
このノアはYYというモデルなのですが、ノアなのに3列目のシートがなくて、そのかわりに使い勝手のよいボードが用意されていて、これがベッドになったり椅子になったりテーブルになったりと車で旅する人には申し分のない装備が満載なのであります。
これで、いつでもどこでも暮らしていけるような気がします。
_ サバイバルファミリー観てきた
急ぐ旅路でもないので、巷で話題のサバイバルファミリーを観てきた。
と、いうのも明日から参加するブッシュクラフトアドバイザー認定講座の講師をつとめる川口拓さんが撮影協力したということでどんなサバイバル技が飛び出すのか!?という予習も兼ねて観たのだった。
結果、とてもおもしろかった。現代の便利な生活や仕事、常識に囚われすぎる現代人の滑稽さや、それが失われたことに気づいてからの心の成長や逞しさ、地に足つけて暮らす人の強さ、そして人間ってやっぱり楽しいねと思わせる演出など、とても楽しい映画だった。
娘役の葵わかなさんがとっても可愛い。
_ 国道6号線を南下していわきまで
映画を楽しんだあとは、国道6号線を通ってひたすら南下。
東日本大震災の時に津波に浸水したことを示す看板が頻繁にでてくる。6号線を走るのは初めてだったのですが、テレビやネットでしか観てこなかった震災の被害の大きさを改めて感じて胸が痛くなった。
すっかり暗くなってからひたすら6号線を南下していると、帰宅困難区域に入る。自動車のみが通行でき、歩行者や自動二輪は通行禁止なのでやはり放射線量も強いのでしょう。当然だけれど車の窓もしっかり閉めて通過。誰も住んでいないので街の灯りがまったくない。これだけ広範囲の区域ですっぽりと人がいなくなってしまうことに改めて原発被害の甚大さを認識しました。遠くに見えた福島第一原発はやはり物々しく、将来に負債を残して今を便利に生きる原発の存在をますます許せなくなるなどしました。