呑んだくれ改めレッツゴー痛風日記
2015-02-07 懐かしの室蘭へ
_ 室蘭市立桜が丘小学校閉校式典に出席。
母校である室蘭の桜が丘小学校が今年で閉校するとの知らせを受けたので閉校式典に出席してきました。
小学校時代の同級生と3人で朝7時に札幌を出発して懐かしの母校へ車で向かう。
早く着いてしまったのでそれぞれのかつて住んでいた家をまわったりコンビニで軽くご飯をたべたりして時間をつぶす。僕の住んでいた社宅はキレイな更地になっていて時代の流れを感じるなど。
立ち寄ったコンビニにはしっかりと閉校式の案内が貼ってありました。
さて、目的地である桜が丘小学校に向かう。
校門手前には41年間ありがとうの看板
閉校式典に大勢の人が集まっているのでしょうか。グラウンド全体が駐車場になっております。
玄関には閉校式典開場の立て看板。本当に閉校してしまうのですな。
中に入ると、木製の下駄箱でズラリ。つくりは当時のままだけれど、児童数がかなり減ったためか棚が間引きされていて空間が広くとられてました。
それぞれの写真の真ん中にかつて下駄箱があったであろう跡が残ってますね。
式典が始まるまでは教室探検。基本的に当時のままの教室に懐かしさが溢れ出る。
さすがに石炭ストーブはなくなったようだけれども、ストーブを置いていた鉄製の床が当時を思わせる。
そして下の写真の左手にちらりと写っている掃除用具入れにびっくり。
こんなに小さかったのか!昔はよくこの中に友達を閉じ込めるなどしたものだけれども、よくこの中に人を入れようと思ったな。
思いのほか広い廊下。
コート掛けも当時のまま
僕達の通っていたころからある2回生のみなさんの卒業制作
手洗い場。みかんネットの石鹸がビオレに変わった他は当時まま。
来賓挨拶等がひと通り終わり、遂に学校の象徴ともいえる校旗が青山市長へ返納されてしまった・・・。
そして児童発表のコーナー。「呼びかけ」とスライドショーで41年間の歴史を振り返る。
しかし41年間の歩みと言いつつも、1年1年の年間行事や6年間の成長の積み重ねだったりするのだなと気が付き、学校の歴史というよりも人の歴史を感じるなどしました。
しかし、配布冊子の児童数グラフ見てみると、開校してから常に右肩下がりじゃねーか。
市長や教育委員長は来賓挨拶のなかで「人口増に対応するために児童数900名のマンモス校として開校して室蘭の発展の歴史とともに歩んできた」というようなことを二人共おっしゃっていたが、なんともこのグラフを見ると微妙な気持ちになってしまうよ。
桜が丘小学校、絵鞆小学校、武揚小学校が閉校となり、あらたに「みなと小学校」に統合されるのだそうです。一足早く閉校になった港南中学校跡地でみなと小学校の建設がすすんでおりました
しかしなー、港南中学校の校舎をそのまま使い続けるわけにはいかなかったのかねぇ・・
こちらは同じく閉校となる絵鞆小学校。丸型校舎は保存を目指すコミュニティが立ち上がっているとか。
どうも初めまして。 <br>実は1990年(平成2年)度・1991年(平成3年)度の2年間、 <br>桜が丘小学校に在籍していました。 <br>札幌から親の都合で転校してきたわけですが、閉校とは。 <br> <br>思い出といえば、給食を残したら駄目だったことですかね。 <br>特に嫌いな食べ物が出てきた場合は…。 <br>後は札幌と違って、冬はスケート(札幌はスキーがほとんどです)ですか。 <br>スケート靴の紐をきつく締めなったせいで、随分と転びました…。 <br>
多分、第一回卒業です。 <br>開校時体育館もなく視聴覚室でマットの授業をやっていたりした。 <br>校舎向かいの山に桜の木を植樹したりしたなー <br>息子と、娘も卒業生で、息子が、校門前で交通事故にあって、信号がついたり。 <br>奥の池は、別名があったりとか。 <br>実家がすぐ横なので飛行機を飛ばした記憶もあるなー <br>なくなったのかー <br>東京に17年前に出てきていちどももどっていなく、しらなかったわ。 <br>写真。なつかしかった。