呑んだくれ改めレッツゴー痛風日記
2004-05-09
_ 村上春樹っぽく起床してみる。
目覚めると時計は10時をまわっていた。昨日の夜が遅かったせいか、意識がはっきりしない。しばらくベッドの中で意識がはっきりするのを待っていたが、すぐに起きて台所へ向かった。おそろしく喉が渇いていたのだ。たてつづけにコップに2杯の水を飲み干してあたりを見渡した。うむ、いつもの僕の部屋だ。空気が湿っていて雨が降りそうだったが、僕は洗濯機を回して着ていたものをすべて洗濯機へ放り込んだ。
チャイムが鳴ったのは台所で洗い物をしているときだった。日曜日の午前中に僕の部屋にくる人はいないので宅配便か何かだろう。
やれやれ。僕は服を一枚も着ていないじゃないか。
_ 町田康っぽく掃除してみる。
わたしが腕を組んで先ほど届けられた中華鍋というものをにらんでいるのは、意味もなくにらんでいるというわけでは当然なく、きちんとした正当な理由があるのである。この中華鍋はカタログショッピングという、文明の発達した現代社会においてわざわざ店に出向いて似たような商品を前に悩みながらしかし店員に話を聞こうものなら、へへんどうせ何も分かっていない客だ、一番高いものを売りつけてやろう、という巧みな話術にのせられそうになり、そこで騙されたりしないために、ぼくはちゃーんとわかっているのだよ、ははは、ぼくは必要なものしか買わないもんね、と自信満々の態度で、商品説明を一言ももらさずに聞いて決して損をしないようにとあらんかぎりの集中力と猜疑心をもって買い物をするという精神的疲労をすることなく、物品を購入できるというすばらしいシステムで購入したものであるが、この中華鍋というものはその名前、形状から万人に知れているように、これは調理器具なのである。
早速わたしはこの中華鍋を使って何か腹のふくれるものを拵えようとしたわけだが、中華料理といえば4千年の歴史のある料理であり、わたしのような若い男にきちんと作れるのであろうかと不安になってしまったのである。作るからにはきちんと作りたいのであるが中華料理の材料とは一体全体どのような食材を用いればいいのであろうかと考えをめぐらせた結果、おそらく豚肉、たけのこ、ピーマンがあればなんとかなるであろうと思い至ったわけであるが、ひるがえって拙宅の冷蔵庫の中をあさってみるとそこには納豆やらハンヴァーグやらほうれん草などといったおそよ中華料理とはほど遠い食材しかなく途方にくれて今にも泣き出さんばかりになり、料理を拵えることをあきらめたのであった。
中華料理を拵えるのをあきらめたわたしは、この中華鍋をしかるべきところへしまおうと決心したのだった。しかしそこでわたしはまた思案にくれることになったわけで、それは恥ずかしいことなのであるが、拙宅の中のいたるところに物が散らかっており、つまりは部屋の掃除をしていないがために、この中華鍋をしまうべき場所を確保できないという現状に気がついたからであり、では掃除をしようかしらんと思い立ったとしてもどこから手をつけていいのか皆目見当もつかないわけで、そういう後にも先にも進めない状況に陥ってしまい、先ほどから腕組みをして中華鍋をにらんで思案しているのであった。
部屋の掃除をしていないからといって、それはわたしが掃除が嫌いであるということでは決してなく、これはわたしの名誉のためにあえて宣言させてもらえばわたしは元来きれい好きなのであり、きれい好きであるわたしの部屋がこうもひどい惨状を呈しているのは正当な理由があるのである。つまり、もともときれい好きであるわたしは一度掃除をはじめると完璧にきれいにならないと気がすまないほどの完璧主義者でもあるのだが、よし今日こそは完璧にきれいに掃除するぞ、と決意して掃除をはじめたとしても必ずといっていいほど邪魔がはいるのである。こんちはー。○○新聞ですがー。などといってにこやかに宿酔いのわたしの思考能力のないところを狙ってくる新聞勧誘がやってきて、本来であればすぐに追い返せばいいのであるが、人の良いわたしはついつい話を聞いてしまうのであり、いやいやぼくは新聞など取るつもりもないから早々に帰っておくんなまし、え、何?ビール券くれるの?いやいや、そういう話はもっと早くに言ってくれたまえ、なるほど、それはちょっと考えてもいいかも、他に何かくれるのかしらん、などと話しこんでしまい、ビール券およびトイレットペーパーはたまたどこかの海岸のレストランの食事券などをちらつかれるも、それらもろもろ誘惑を断ち切って、さてこれで掃除ができるぞという段階になると、すでに掃除をはじめてから相当の時間が経過してしまっているわけであり、すると当然のように腹が減ってくるわけである。空腹など我慢して掃除を続行するべきなのかもしれないが、掃除を完璧に行うためには体力を万全にしなくてはならない、腹が減っては戦はできぬ、と開き直って即席チャーハンなるものを拵えて腹をみたすわけであるが、そのようなことをやっていると完璧主義者たるわたしの掃除プランを遂行する充分な時間は残されておらず、仕方なく目の見えるところだけ掃除を行うことしかできなくなるのである。しかし、目の見えるところだけ掃除を行うといってもこれはまた難しく、そもそも目の見えるところという定義が人によってあいまいなわけで、そこで誰もが見るだろうという最小公約数的な箇所の的を絞って掃除を行うわけだが、そうしていると完璧主義者であるわたしの目には掃除の行き届いていない箇所が目に止まってしまい、完璧主義者であるわたしはそのような中途半端な状態に我慢がならなく、つい、わきゃぁ、とか、そりゃぁ、などと叫んで部屋をめちゃくちゃに破壊してしまうのである。そのため掃除をすればするほど拙宅の部屋の惨状はひどくなる一方であり、このような理由からある時わたしは部屋を掃除することをやめたのであった。やほほ。
しかし、今日は尋常ならざる決意をもって掃除を行うことにした。なにしろ中華鍋をしかるべきところへしまわなければならないという問題が浮上したからである。わたしは周到に計画を立てて部屋の隅から少しずつ、散らかっているがらくたをどんどんゴミ袋へ投棄していき、順調に掃除を行っていたわけであるが、ふとわたしの目に奇妙奇天烈な物体がとびこんできたのである。それは、にがうりの形状を模したパーカッション、つまりゴーヤーシェイカーなるものであり、これはわたしが一時期ジャズドラマーに身を落としていた時期に購入した一品であり、手軽に誰でもリズムを刻むことのできる優れものなのである。早速わたしはゴーヤーシェイカーを手にとりシャカシャカシュクタクシュクタクシュクシャクとリズムを刻みながらオーイェーなどと歌いはじめたのであるが、自分では感じていなかったブランクが露呈され、シュクシャクシュクシャクと16分音符を奏でているつもりなのであるが、ゴーヤーシェイカーからはシャッカシャッカスッチャラッタとなんとも間抜けな音が鳴り響いているわけで、いくらわたしが一心不乱に16分音符を作り出そうとしてもゴーヤーシェイカーは頑固なまでにスッチャラッタいうのである。しかし元来踊り好きなわたしはゴーヤーシェイカーの音にあわせて、へへい、はいよ、もういっちょう、などと叫びながら踊り狂ってしまい、気がつくと部屋は先ほど以上に破壊されていたのであった。南無。
結局わたしは掃除を完璧に行うことをあきらめ、中華鍋で豚キムチ炒飯なるものを拵えて食べたのだった。
_ 普通に豚キムチ炒飯。
よく熱した鍋に油をひいて、刻んだにんにくとトウバンジャンを炒める。いい香りがしてきたところで豚肉投入。軽く炒める。
豚肉を一度皿にとりだして、玉子を炒める。玉子が固まらないうちにご飯をいれて炒める。いい感じのところでさっきの豚肉を入れて、キムチを投入して東マルのラーメンスープの素を入れる。黒胡椒も少々。
仕上げに鍋肌からゴマ油。
_ 普通に散歩してみる
掃除も洗濯も終わったので散歩した。とりあえず荒川沿いをぼてぼてとあてもなく歩く。
と、左近川の近くまできたときに雨が降ってきたのでどこかで雨宿りすることにした。ってことで、急遽社長のお見舞いに行ってきました。今日から普通の食事がとれるようになったらしくだいぶ嬉しそうでした。相変わらずヒマそうだったけど。
二人で屋形船で浴衣大会の計画を練ったり。
_ 普通に散歩の途中で買い物の物色
島忠でいろいろ見たり。キッチン収納品にとっても興味あり。システムラック伸縮 1段とか。コレいーよ。はさむだけだし。あと突っ張りタイプもいい感じ。パンラック TUN型とか使いやすそう。うちのキッチンも目の前に窓があるから突っ張りタイプがいいかも。あと、僕のようなミニマムな人種には吊戸棚収納とかあるとだいぶ助かるなぁ。なーんて、最近、欲しいものとか自分の気をつけていることとかが主婦ちっく。
_ 母の日
一応実家に花を贈っておいたんだけど、1日か2日遅れるかもしれない、と言われていたのだが、ちゃんと届いたみたい。
_ 銭湯
家の近くの銭湯にはじめて一滴真下。悪くないね。大きな湯船につかるのってステキ。
おもろい
すごーい超大作!おもろい。